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2024/05/03  カテゴリー/

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広島、平和学習の旅

2013/03/26  カテゴリー/日本について

広島へ旅行に行ってきました
大坂から高速バスで6時間ちょい、3800円でした(早い、安い

広島といえばやはりここですよね。
「原爆ドーム」です

日本語教師としてはこの「原爆ドーム」を外国人に説明できないとだめですね!
でも、実はわたくし恥ずかしながらものすごい勘違いをしておりまして・・・
この「原爆ドーム」の中に入れる資料館だと思っておりました。

「原爆ドーム」というのは
もともとは「広島県産業奨励館」という当時はモダンな建物だったそうです。
それが一発の爆弾でこんな姿に。
でもレンガ造りだったのでなんとか壊れずにすんだらしいらしいです。
当然危ないので中に入ることはできず、何度か修復工事もしているそうです。
この「原爆ドーム」負の世界遺産として登録されているそうです。
負ですよ・・・

そしてこの原爆ドームがある場所は有名な「平和公園」です。
よく終戦記念日にニュースで見るところですね。
実はこの「平和公園」、元々公園だったかというと・・・
市内有数の繁華街として栄えた歴史のある街だったそうです。
それが一瞬ですべてなくなってしまったわけです。ただただ恐ろしいです。

近くには「千羽鶴」で有名な「禎子さん」の象が

この話も、恥ずかしながら全然知らなかったんですが、
「佐々木禎子さん」は2歳で被曝した女の子だそうです。
しかし、その後は健康ですくすくと育ち、健康診断でも一切の異常がなかったらしいです。
ところが、11歳の時に白血病が発病し、千羽鶴を折り始めたそうですが、
それが折り終わらないうちに12歳で亡くなったらしいです。
それで、貞子さんに捧げるために今でも全国からたくさんの千羽鶴が捧げられているそうです。

原爆被害は今も終わった話ではなく、地元の人に聞くと
被曝した両親から生まれた子、その孫と今も続いているそうです。
さらに被曝者に対する差別もあるらしいです。

あとこの公園内に「平和記念資料館」があり、50円で入れます。
この「資料館」は外国人も多く、広島が世界で果たす役割は今も大きいと感じました。
この資料館に入ってから、涙が自然に出ることが多く、一切の写真を撮ることができませんでした。
当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したそうです。
被曝者は服は焼け、肌はただれ、熱さと痛みで逃げ場もないのに逃げるしかなかったそうです。
阿鼻叫喚の地獄絵図とはこのことですね。


そして広島市から電車で50分の「呉市」には
「大和ミュージアム」があり、戦艦「大和」のどでかい模型も見られます。
当時の貴重なビデオ映像を交えての説明はは本当にわかりやすいです。
特に「特攻隊」が書いた遺書は冷静には読めません。

この戦争で死んだたくさんの日本人の上に今の平和な日本が成り立っていることを絶対に忘れてはならないと思います。そして感謝の気持ち、平和のありがたさも。
家族や恋人や友人のために命を落とした昔の人を見て、はたして今の私にはそれができるのか?深く考えさせれました。

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